いや、一つ一つ納得できるように行動せざるをえないって言ったほうがいいのかな。
「あきらめる」っていうのもひとつの納得の仕方として。
これとリンクするように満足っていうのがあって、これは必ずしも納得と一緒ではないように思う。
「あきらめる」ことで満足度メーターがあがるときも、マイナスになるときもあるように思うから。
満足も納得もメーターの感受性は人によってかなり違う。
すぐあきらめることができるのに、満足度は低く、不満ばかりたまる人。
自分にできないと思ったらすぐにあきらめたり、ポジティブに考えることができて、満足度としてはいつもハイゲージの人。
どんなことがあってもすぐに忘れてしまい、満足度メーターが動かない人。
いつまでたっても納得がいかなくて、その間満足度メーターは低くて、満足度のメーターを上げるために他人を不幸にして穴埋めしようとする人。
あきらめると同時に「ねたみ、恨み」に気持ちを変換する人。
でもたいていは、何らかの形で納得いくまでは、ずっと(うじうじ)考えて答えを探す。
その答えは別に正しくなんかないかもしれない。でも考えてしまう。
もし相手があることなら、自分でいくら考えて勝手に納得していたとしても、相手の感じ方受け取り方しだい、再び自分も納得できなく逆戻りしてしまうかもしれない。
そう、他人の受け取り方や考え方が、自分の納得のために必要な状況って、とても難しい。
他人がある状況で、しかもお互いがお互いに納得しあって、そのとき考えている事柄ばかりが先走って、あまりにも現実から離れていってしまう状況もある。そんなときは現実を直視しなければならなくなった時、非常にもろい。
人をコントロールしようとする人がいる。自分の満足度メーターのブレを非常に嫌う人。でもうまくコントロールできないから、次第に他人に無関心になる。
自分を偽る人がいる。きっと憧れの理想的な姿があって、自然に自分がそう振舞えるようになったら納得できるのかもしれない。そう考えているんだろうけど、結局できない。逆に悪ぶることもあるかもしれない。でも自分を偽っている以上納得することはない。
不満は屈折を生む。
他人から天然だといわれる人がいる。もしこの人が、ボケてばかりいられない深刻な状況になったとき受けるダメージが、自分の持ち前の性格で軽減されるんであれば本物。あこがれてなれるものではない。
相手のことを深く知ろうとする人がいる。それが自分の思っていたとおりであれば納得する。違えば満足ゲージは下がる。でも知らずにはいられない。納得できない。
相手のことを深く知ろう、過去を、現在考えていることを知ろうとすることは正しいのか。なんとなくそれは相手を支配したいという欲の表れかもしれない。
そうしているうち、相手の考え方や普段の出来事をパターン化して、安易に納得させようとする自分がいる。これは重大な間違いを引き起こす。
いつも感受性豊かに考えていたんでは疲れる。あきらめる。不満がたまる。
こうなってしまったら、こうせざるを得なくなるって、とても悲しい。
だからちょっとした幸せで、満足ゲージをあげられるように。
そのときそのとき、考えて、感じて、素直に納得できるようにしたほうがよさそうだ。










